671719 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

4.「予定調和」

負け犬の遠吠え:「いじめ」と「団塊の世代ジュニア」と「予定調和」

 正月早々の話題では無いように思うが、書きたいことを書く。
 我が家の地方新聞には、毎日のように「いじめ」救済ネットのような記事が踊っている。
 「何が悲しくって、そんな『下らない』記事を読まなくちゃいけねえんだ!」と何時も読み飛ばしているが、そうすると「この新聞」には殆ど読むところが残らない。
 多かれ少なかれ新聞社なんてものは、同じもんだろうと諦めてはいるが・・・。

 何故に世の中は、「いじめ」なんてもんに、こんなに興味があるのか?
全く理解に苦しむ。
 どうせ『他人の不幸を喜ぶ』我が日本民族の性が、そうさせるのだろうが・・・。

 だから、「いじめで自殺した子供の親」は、「社会や行政を非難しつつ不幸がっていれば良い」のであって、「間違っても訴訟など起こして金銭的に豊かになってはいけない」のである。
 被害者遺族が豊かになれば、「自分の子供を餌に、あいつ等は儲けやがった!」掌を返した様な社会の嫉妬が待っている。

 世の中は、「弱肉強食」である。
 弱いものは、強いものに喰われちまうなんて『生き物の本来の掟』が守られていない。
 「いじめられて自殺する様なガキ」の遺伝子なんて残してはいけないのである。

 キリスト教国の欧州などは、「死刑制度」を否定して、「フセイン元イラク大統領の死刑執行」を非難している。
 しかし、「十字軍の時代」には、聖地エルサレムを異教徒から奪還すると称して、「異教徒は人間じゃないと殺して喰った」のは誰だったのか?

 テメエ等の祖先だろう?

 何もキリスト教徒だけじゃない。
 「『喰い物』を争って、相手を打ち殺してきた」のが、我々の先祖なのである。
 当然、『喰い物』の争いに負けた者は死んじまったんで、その遺伝子は今に伝わっている筈もない。

 太古の昔は、そうであったかも知れないが、そんな「原始的な考え方や生活」から脱却するために、今の社会規範があると反論する方がいるかも知れない。

 高々、数千年で遺伝子が変わると思っているのだろうか?
 非常にお目出度い方々である。

 ただ、「窮鼠猫を咬む」ということがある。
 以前にも書いたことがあるが、十年以上前に中国語を教えてくれた『社会科学院』出身の中国男性が不思議そうに聞いてきた。

 「何故、日本人は苛められると自殺するんだ?」
 「我々中国人は、苛められたら相手を殺すことはあっても自殺なんかしない。」

 真理である。
 何時から日本人は「苛められると自殺する」なんて無様な国民になってしまったのか?

 私は『団塊の世代』が大嫌いで、何でも彼らのセイにする傾向がある。
 しかし、今のガキは、丁度『団塊の世代ジュニア』のガキと一致する。

 『団塊の世代』は、「みんなでお手々繋いでチイパッパ」なってやっていた世代である。
 「みんなで仲良く」なんてのは、この世代の特徴だろう。

 『絶対に社会に迷惑をかけるな。お前がそんなことをすれば私等が困る。』
 我が両親は、私が小さい頃から、こう教えてきた。
 「みんなで仲良く」なんて躾けられた覚えは全くない。

 私はガキの頃から生意気だったので苛められて良く喧嘩したようだ。
 小学校の高学年になった時に、クラスメートから言われたことがある。
 「喧嘩ばかりしてたんで、怖い奴だと思っていた。」と。

 私から売った喧嘩は一つもない。
 全てが買った喧嘩である。

 中学生の頃だけは優等生だったので、「不良と呼ばれる人々」は、私に一目置いてくれたのか、あんな奴と喧嘩しても仕方がないと諦めてくれたのか。
 喧嘩を売られることは無くなった。

 就職してからの方が陰湿だった気がする。
 人間なら好き嫌いがあるのは当然である。
 悲しいことに、好き嫌いの激しい者が上司なら職場は悲惨だ。
 また、職場によっては、皆が精神的に追い詰められる場合がある。
 そんな時には、必ずスケープゴートが必要になる。

 私が「うつ」になった原因もそこら辺りにあるのかも知れない。
 だが、それでも自殺しようなんて思ったことは一度もない。

 『逃げれば良い』だけのことだ。

 「『辞職する』のは、相手に迷惑をかけることも無いし、自分だけが損をする」なんてセコイことを考えて、「うつ」を選んだのかも知れない。
 ただ、「うつ」の原因らしい職場から配置転換された相当後に「うつ」が発症したため、直接には何の関係も無い職場に迷惑をかけてしまったが・・
 
 私は、『本当に自分がヤバイ』と思えば、迷わず相手を攻撃する。
 自分のガキや家族が殺されたら、形振り構わず、加害者の『助命嘆願』をして、早々に刑務所から出てきた処で打ち殺す。

 泣いて社会や行政を非難なんて絶対にしてやらない。
 そんなマスコミュニケーションや民衆を喜ばす暇があれば、一所懸命に復讐の計画を練る。
 私刑(リンチ)を禁止する今の法秩序が如何であれ、殺人の加害者一人を被害者遺族が殺した処で絶対に死刑なんてならない。

 「そんなことをして殺された者が喜ぶと思っているのか?」似非社会派・常識的な方々はノタマウことだろう。

 そんなことをテメエ等に言われる筋合いはない!

 殺された者なんてのは、この際、如何でも良いことだ。
 生き返る訳じゃなし。

 ただ、『黙って見過ごす自分が許せない』だけのこと。
 そんな情け無い自分を背負って堅気の生活をしてても仕方ないんじゃないか?
 そんな位なら、刑務所で臭いオマンマ喰ってた方が、ずっと充実した余生に思えてしまう。

 全てが『予定調和』に支配されてしまっている。
 群れていないと何もできない『団塊の世代ジュニア』のガキ。
 ガキが自殺すれば、一斉にガッコを非難するマスコミュニケーション。
 「国の教育行政が悪い」と一方的にイチャモンを付ける似非いんてりげんちゃん。

 『ある原因から導かれる結果が唯一つしかない』なんて、日本国はホントに民主主義国家か?

 『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』ばかり見てんじゃねえ!

 そんな国民に迎合するマスコミュニケーションには幻滅していたが、少しは希望を持っていたインターネットもどうやら『同じ穴の狢』らしい。
 ブログなんてもんも『結局は、どれだけの人間が読むか』なんてことを考えて作文している。

 私は基本的に他人のブログなんて読まないので詳しくは知らないが、読者?サービスのためにオッパイだした女性もいるらしい。
 確かに、そんなブログなら少しは見てみたい気もするが・・・。

 人のブログ(日記)なんて読んで面白いか?

 「うつ」の間は、読者?に阿って書いてきた私のブログであるが、「うつ」脱却宣言に伴って無茶苦茶な内容になっている。

 もう少し大人になれば・・・と思わないでもないが、今少しの間は我侭を通させて貰いたい。
 40歳を過ぎて『未だ常識的な大人?になれない』なんて情けないことだが・・・。


© Rakuten Group, Inc.